8枚組CDの円生百席「真景累ヶ淵」を聴き終える。超怖い場面がいくつかあって、すごく楽しめた。幽霊が怖いのではなく、怖い人間が死んでもつきまとってくるから怖いのだ、ということが理解できたのは発見だった。

落語を聴きながら笑うということは、実はほとんどないのだけれど、残酷なシーンを耳で聴く、という体験が面白く、最近ちょこちょこ聴き足している。大抵の噺は残酷な描写の後には必ず救いが付いているのだけれど、「真景累ヶ淵」は呪いが連鎖、というよりも奇妙に絡み合いながら繋がっていて、救いが一向に見えないところが恐ろしい。最後、今銃を売ったのはいったい誰か!といった、少年ジャンプの連載ような終わり方は違う意味で驚いてしまったが、それ以降は話が横道に反れるので、円生はそこまでしかやらないのだそう。作者である円朝の時代はまだ筆記が発達してなかったので、行き当たりばったりで、作っては話し作っては話しを繰り返してできたのだろう。ほんとうに週間連載漫画のような状況だったのかもれない。

真景累ヶ淵」の中にも「笑い」の要素はいくつも散りばめられていたけれど、残酷な描写の中にそれがあると、「楽しい」というよりも「不謹慎」な感じがした(その感じは「笑えない」ものの、ひとつの「面白み」ではあるが)。かつては部分部分演じたのだろうから、うまい具合にバランス(前半笑わせて後半どんどん緊張感が高まっていくの)がとれていたのかもしれない。