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「お笑い芸人というものは、人に笑われるのではなく人を笑わせるものだ」と言う人がいるけど、自分は笑われたい。
というようなコメントが「ダ・ヴィンチ」(5月号)の載っていた(※立ち読みのため、正確な引用ではない)。爆笑問題の太田光の発言だ。太田さんはこの雑誌だけではなく、似たようなことを他でも言っていたような気がするし、伊集院光もラジオで似たようなことを仄めかしていたという記憶がある。というかTVを見ているとその感覚がバシバシ伝わってくる。言葉になっていなくても響くのだ。それれを感じる度に、なんとなく納得できる一方、妙な違和感もあった。
TVで圧倒的に求められているのはたぶん「人を笑わせる」ほうだ。「人に笑われる」芸人もいるにはいるけど、TVで安定したポジションを確保できないでいる。自分自身は「お笑い芸人」という言葉にこだわりがないけれど、そのふたつをあえて分けてみると、前者が「タレント」で、後者が「お笑い芸人」とすると(個人的に?)しっくりくる。
TVに出ているお笑い芸人の多くは、その両方をこなそうとしているように見える。「笑われる」ことで「笑わせる」ことに努力しているように。
そんな「笑わせる」だけでもやっていけるけど、あえて「笑われる」方法を選ぶ人がいる一方で、「笑われる」ことしかできない芸人がわずかながらいる。正確に言えば、笑わせようとしても笑われてしまう芸人。本当はそっちの芸人のほうが多いのかもしれないけど、TVに映っている人だけ見るとこっちのほうが完全少数派だ。
そんなどうやっても笑われる芸人を思い浮かべると、すぐ思いつくのが上島竜兵だ。うまく「笑わせる」ことのできるタレント化し、成功した笑い芸人の多くは、竜ちゃんを憧れの目で見ているように感じる。「竜ちゃんこそが本当のお笑い芸人だよ」ときっとみんな思っている。
でも「笑われる」芸人はTVでは生き残って生きにくい。だから竜ちゃんはなんとかタレント化しようと必死に頑張る。でもうまくいかなくてまた「笑われる」。一方でタレント化した芸人は、なんとか「笑われ」ようと自分を追い込み蔑むんだけれど、それがちゃんと上手くいってしまうことで、まるで「笑わせて」いるように映る。そこには目に見えない、しかも捉えにくい絶対的な壁があり、お互い絶対にそれを越えられない。
グラビアアイドルがお笑い芸人化していることはよく言われるけど、それは「お笑い芸人」化ではなく、本当はTVタレント化なのだと思う。古いTV番組がどうだったか知らないけれど、TV番組がどんどんバラエティー化していく流れに、お笑い芸人たちがいち早く順応していっただけで、決してみんな「お笑い芸人」化しているのではないんじゃなかろうか。
むしろ「お笑い芸人」は絶滅しつつある・・・・・・?
つづく?