空席の日々 その名の由来①

中学生のころ一週間授業をサボリ続けたことがある。一日目の月曜、いつも登校を共にする友人Nに「担任には風邪だと伝えてくれ」と頼む。学校へのウソはこれでいいが親にもウソをつかなければならない。それに口を使う必要はない。単純に必要な時間、外でブラついていればいいのだ。


学生服を着て家を出るも、近隣のマンションの非常階段などを利用して用意した私服に着替える。大人びた顔をしていて、大学生とも間違われることもあった私はそれだけすれば自由だった。その「フケている」という特徴は、根強いコンプレックスのひとつであったものの、その時ばかりは喜ばずにはいられなかった。


自由。だがお金はたいしてない。しかも自分でも呆れるくらいの貧乏症だった私は、どうにかお金を使わずに過ごす方法を・・・・・・とひたすら考え続けた。どれくらい考えたかというとまる一日使ってしまったくらいだ。こうして月曜日が終わってしまった。


二日目の火曜。前日と同じ方法で自由を手にする。学生が道からいなくなる時間帯まで隠れ、その後自転車に乗って自分が知らない、と同士にそこに住む人々も私を知らないところまで一気にこいでいった。それに飽きたら書店で立ち読み。財布を開いたのは昼食を買ったコンピニのみ。細身の私だが、どうにもこうにも空腹には耐えられない。こうして火曜日が終わった、同様に水曜日も木曜日も終わった。初日は北へ、二日目は西へ、その次は西へ向かった。


もちろん金曜日には東に向かった。日中はその数日間とほとんど変わらない。違っていたのは帰宅してからだ。玄関に足を踏み入れると母親の怒号が飛んできた。何を言われたか細かいところは覚えていないが、Nから毎日報告を受けているものの担任がさすがに怪しんだか、心配したかで自宅に電話を掛けてきたらしいのだ。母親からは終わりのないような説教を受けたが、ネクタイを緩めて帰ってきた父からは強い叱責はなかった。しかし、知ったかぶった顔で「まぁ若いころは色々あるって」を母の横で繰り返していた姿は、決して好意的には受け取れなかった。


土曜日、なんとなく行きづらいという理由だけでまた学校をサボる。その午後再び担任から連絡が入ったものの、帰った自宅で母親からつばを浴びせられることはなかった。その代わり「あんたいったい何考えてるの・・・・・・」というため息交じりの言葉が、深々と私の内側に入り込んでいった。


翌週の月曜から、私は再び学校に通い始めた。自分の席にまで辿り着くと、「長かったね、もう大丈夫なの」、「おい、心配したぞー」などと声をかけられた。サボっていたことは知られていないらしい。いなかった分に見合った武勇伝を語れない私は事実を明かさず「いや〜酷い熱でさぁ」と話を合わせた。一週間もいなかったにもかかわらず、掛けられた言葉はその程度のもので、その後はいつも通りの時間が流れた。


その日の授業中にふと思う。あのままいなくなったとしても、もしかしたらこのクラスのやつらには何の影響も及ぼさないのかもそれない。こいつらは先週の俺のいない空席を、どんな風に見ていたのだろうか。いないのにあるように見ていたのだろうか。あるのにないように見ていたのだろうか。本人がいないとき、席だけが教室に残されていることは果たして幸せなことなのか、それともそうでないのか・・・・・・。


私は残りの中学校生活を無欠席で過ごした。いなくてもいるのと変わらないならば、いてもいないのと変わらないのではないか。とは考えなかった。いや、考えないようにしていたのかもしれない。空席の日々。