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■藤井誠二『殺された側の論理 -犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』を読む。遺族には想像では追いつかない困難がある、というか人の想像では雑多な世の中で起こり得ることのほんの僅かしかカバーできないという当たり前なことを思い知らされる。
全然論理的ではなく、とても感情的だった。偏った意見が補足なしで書かれているのだけれど、それは被害者遺族の側に立ち続けるという著者の意思の表れでなのでしょう。個々の現実的な問題解決よりも、「お前が思っている以上のことが起こっているし、それが語られず狭いところに閉じ込められている」ということをメインにしているのだと思う。
現状の裁判の歪さや、そもそも人が罪を犯すこととそれを償うことは直線で繋がらないのだという不可能性については、もうちょっと踏み込んで考えてみたい。
■よく聞けみなの衆、ぬるいカルピスはまずい!
■【写真】アフロなライオン(※ポンデライオンではない)