これから酸劇を記録する。


一日目

コマツさん母が新大久保で買ってきたというあさりのキムチが食卓に並んだ。「おいしそう!」と口にしながら食べたものの、おいしくない。というか、「不味い」とは別の「マズい」味がしたのであった。今思えばなぜそんな選択をしたのかわからないが、捨てるべきものを「不味いからさっさと食べてしまおう」という、代々受け継がれてきた貧乏性を、二世代分発揮した判断で、なんと全て平らげてしまったのだった。

その日の夜のことである。腹部に異物感を覚えたコマツさんは布団の上で身を起こした。「なんだこれは」。酸素が薄く、蝋臭い。それはキャンドルに火をつけっ放しにしていたからであった。部屋を暗くし、キャンドルの光だけでジャワガムランを聴きながらストレッチすることがここのところの日課になっていて、その日はそのまま寝てしまったのだった。倒れても燃え移る心配のないものであったが、顔の近くにあったため酸素がひどく薄いように感じたのだ。

体の中から湧き上がる気持ち悪さもあって、新鮮な空気を浴びたくなったコマツさんは閉め切っていた窓をガバっと開けた。そしてそのまま体内で何かが蠢いているのを意識しながら再び眠りについたのだった。


二日目

朝。目覚めたが立てない。足に力が入らなく、体全体で立とうとすると腹に痛みが走る。胃がまるで鉄球のよう。重い。動くとまるでほかの内臓と擦れるように痛い。さらに最近の冷え込みを忘れ開けっ放しにした窓のせいで、風邪までひいてしまったのだった。熱を計ってみると、三十九度を越えていた。

コマツさん母も風邪こそひいていないものの「胃が重い」と寝込んだ。食事制限のあるコマツさん父だけは「塩分を取り過ぎないように」と昨日のキムチを食べさせなかったためひとりだけ元気である。

コマツさんは食欲が最高にない。食わなきゃまず風邪が治らんと思い、体をL字に曲げながら台所に向かうが、どんな角度にしてもどこかしらが痛い。そしてなんとかたどりついた冷蔵庫前でヨーグルトを食べ、あと梨があったとフラフラの状態でそれを剥きゆっくりと食べた。

「この家にはアナタに食事を提供できる人間はいません。したがって夕飯は自分で用意して食べるように」とコマツさん父に告げると、彼は買出しに出かけた。コマツさんは寝た。

再び起き、「なにか入れんと直らんぞ」と冷蔵庫を開けると突然吐き気が。ま、まさか・・・・・・キッ、キムチ!

好きなもん用意して食べろと言ったら、買ってきたのがキムチである。諸悪の根源のキムチを買ってきやがったのである。その時はどんな食べ物を見ても吐き気を感じてしまうほど弱った状態ではあったが、キムチに対しては体が完全に怯えきっている。なぜ昨日の今日でこんなものを買ってくるのだ。確実性のある殺意が花開いたが、残念ながら実行に移す力は残っていなかった。無念。

きっと昨日我々が食べていたのが羨ましかったのだろう。本当に馬鹿野郎である。空気読めないにもほどがある。しかも普段なら絶対買わないような悪質な安物もので、ケースがきっちしと閉まっておらずガバガバになっているため、匂いが漏れに漏れている。息を止めて生命線であるヨーグルトを取り出し食べると、ヨーグルトにキムチの匂いが溶けてしまっており、まったく食べれないという始末。今のコマツさんにとってコレは汚染ヨーグルトなのである。

その晩。少しも熟睡できぬまま、悶えに悶え夜を乗り越えた。


三日目

熱はある程度まで下がるがお腹は相変わらず。今日も予定は全てキャンセルし、ヨーグルト(無汚染)、クラッカー、梨を食べてやり過ごす。夜はなんとかお粥を食べた。お粥ってすごい。あんな食欲なくてもノドを通るんですもの。

画面に食べ物が写ると吐きそうになるのでTVはほとんど(大相撲以外は)見れず。ラジオ万歳。


一週間後

風邪からは完全回復するも、未だ胃は不調。もう歩けるし、普通に外にも出ているが、一回食べると再び開くのは12時間後。一日二食。不思議と食欲だけは回復したが、それが逆に食べれないというもどかしさを強めることに。

体重も5キロ減。(成人後)自己最低と並ぶ。