「いつ何時出会えるかわからない」

そう述べたコマツさんは最近、移動中道路を見て歩き、走る車を頻繁にチェックしている。前方不注意は危険ですよ、とお付の人が注意してもお構いなしである。お目当ては萌えキャラを描いた車、通称「痛車」。コマツさんはネット上で見つけたフェラーリ痛車の画像に、いたく感銘を受けたのだと言う。

「これは現代アートとして美術館が引き取り、常時展示すべきである!」


そう主張したコマツさんは、その理由をこう続ける。

現代社会を生きる我々の価値観は、お互い当然のごとくかけ離れている。かつてもそれはそうだったのだろうが、以前は「常識」というなんとなくあった基準に縛られていた。そして世紀を跨いだ今、その「常識」とやらを足蹴にした行為を、多少躊躇いつつも同時に誇らしげに良しとするところまできてしまったのである。

ある人にとってとても大切なものであっても、別の誰かにとってはゴミ同然。そんな分かりきった、分かっていると思っていた事実を、こういったカタチでバシッと示されると、なんとも言えない高揚感を生む(私にとってはそうだったが、人によってはそれが絶望感になるのかもしれない)。

なにはともあれ、車好きでなくとも、多少車のボディを美しいと感じたことがある者であれば、この痛車に対し、程度はどうであれ怒りに近い感情を覚えるに違いない。しかし私はこの車体を軽快に犠牲にしてしまうテンションに、少なからず興奮してしまった。そしてその後冷静にこう思ったのである。車ってそもそも、移動手段なんだよな・・・・・・。

以前、車好きの男性が身の丈に会わないのにも拘わらず、夢であったフェラーリを購入した話を聞いたことがある。維持費もばかにならず、そのために生きているといっても過言ではない生活をしているが、毎日幸せだという。そんな彼のことを思い浮かべるとより深く感動できるため、展示する際にはこの車の真横で、双方もっとも極端な方の意見を、映像で相互に流すことにしましょう。