君たちもニュースなどで知っているとおり、現在派遣労働者と呼ばれる人々が続々と解雇されていっている。たいした保障もなく放り出される光景を眺め、我々人間は初めてそのルール残酷さを知るのだ。もちろんもっと前に気づくことはできたはずだ。多くの人々がそこから目を逸らし今まできてしまった。そのことから学ぶことは少なくない。

そこから例えてみると、ボクや君たちは恋の派遣労働者と言えるかもしれない。婚姻というつながりを持たない我々は、「つきあっている」という極めて曖昧な状態にある。その言葉から感じる表面上の健全さとは裏腹に、それは口約束を超えることはなく一方的に関係の解除を迫られたとしても、法的な援助は期待できない。やり場のない怒り、そんな沸き立つような思いを抱えたときやっと、二人を繋ぎとめていたものの脆さを学ぶのだ。

しかし、一方でその不当な解約の自由を与えられているのは、相手に限られたことではない。君たち自身だってその権利を与えられているのだ。使わないだけで、しっかりと持っているのである。つまり二人の関係はとても対等なもの。故にその解除に対し後からごちゃごちゃと文句を言うなどという行為は、定額で契約した携帯電話の使用料を今月あんまり使わなかったからといってその月だけ違う契約に変えてくれと怒り狂うようなものだ。

ここでもう一度冷静に考えて欲しい。ボクが君たちに「ふたまた」と呼ばれる、一般的に非難の的となる行為をしたからといって、このような激しい暴力を受けなければならない理由になるだろうか。やろうとすれば君たちにもできた。合法的にだ。恋愛の残酷さをきっちり認める。まずはそこからはじめようではないか・・・・・・。とりあえずこの手首を縛っているロープを外してもらおう。


そうコマツさんは懸命に主張したが、二人の女は一向に謝罪する気のないこの男を当然許す気にはなれず、とりあえず自分たちの足が疲れるまで蹴って蹴って蹴りまくった。

「こいつはクズだ」「いやゴミだ」「粗大ゴミ!」「いや生ゴミだよー、腐りきってるもん」「見てるだけで吐きそー」「さっさと捨てようよー」「早期処分だね!」「早期処分♪早期処分♪」

数日前、コマツさんが一方の女と歩いていたのをもう一方の女が見つけたことからこの三者面談が実現。しかし一握の反省も見せないこの男を何発ビンタしても気が晴れることはなく、だんだんと行為がエスカレートしていったのである。顔や服のセンスはまったく似ていない二人だったが、唯一共通するのは躁鬱が激しいことであった。この時はいつになくハイ↑。なぜこんな汚物をパートナーとして選び遊び歩いたのだろうか。そんな後悔の一点でコマツを愛した女たちは意気投合し、目の前に横たわる男をゴミとして捨てることを多数決で決めた。

生ゴミとして処分することに固執した二人は、なんとなく数分話し合った結果、一旦殺した上でバラバラに解体しそれをまとめてゴミ袋につめポイするという方法を取った。これが世を騒がせたコマツさんバラバラ殺人事件(通称:コバラ事件)の全貌である。