お髭がウザったいほど濃くなり、抜け毛も以前に比べて増えたかも。なーんて考えたりするようになった最近の僕は、その辺で親子づれとすれ違うと、自分に子供が生まれたらどうしよう、どんなふうに教育しよう(≒遊ぼう)か?なんてことを自然と考えてしまう。そんな時に必ず出てくるのが「TVゲームをいつどのような制限を与えて提供するか」という問題だ。

スーパーファミコン世代である自分は当時、部屋にTVがあったため夜な夜な意識が朦朧とするまで(もしくはしてもまだ↑)コントローラーを離すことはなかった。最近はあまりゲームをやらなくなったせいか「あの熱中は時間の無駄ではなかったか?」という疑問に「たしかに無駄だったなぁ」と、特に考えもせずに否定的な答えを出してしまう。でもでも、何か意味があったような気がしないでもない気もしなくはないなぁ、みたいな、なんかもごもごした抵抗も、決してなくなっているわけではなかった。

『ダメなものは、タメになる テレビやゲームは頭を良くしている』は、そんなフワフワしたゲームに対する意味付けを足元から支えてくれる本だった。嗚呼あんなに時間を注ぎ込んだ少年時代はまるまる無駄ってわけではなかったのね、と思える一方、ゲームの限界というのもしっかり考えさせてくれる。

全体的にとても読みやすく、楽しんで読めた。アメリカの文化をベースにした話なので、TVの部分はちょっと想像力を必要とするけど理解できないほどではない。逆に日本とアメリカのTV番組の発達の違いというのが知れて面白かったりもする(『24』や『LOST』などを取り上げて、単純に日本のTV番組はアメリカのそれに比べて遅れて、もしくは劣っているとは単純には言い切れないと僕は思うが)。

この本で扱われているものはとても広く、日米比較じゃなくても細かく取り上げていけば何冊も本ができてしまう。そういう本はもっと出てくるべきだし、きっと出てくるんだろうな。楽しみです。



ダメなものは、タメになる テレビやゲームは頭を良くしている