桜井鈴茂『終わりまであとどれくらいだろう』を読む。噂通りというか、自分が好むタイプの小説ではないにもかかわらず、おぉそれ言っちゃうのか!と驚かされるような本だった。それがきっと一部で高い評価を得ている理由なのだろう。なんていうか、普段本を読まない人にも勧めたい、って感じなのだ。

書かれていることをひとつひとつ取り上げれば、さほど変わったものではない。既に何度も描かれてきたと言ってもいい。それは当然意識的なもので、小説の中で出てくる「芸術家の役目とはあるがままの生活を記録すること」という言葉とも無関係ではないだろう。タイトルからも気づく通り、内容は決して明るいものではなく(というかタイトルのまんま)、かといって極端にアウトローなものでもない。希望もないがかといって絶望もできない。そんな世間に蔓延している(?)日常を切り取った、きっとどこかで誰かが経験してそうな一日が描かれている。

主に登場してくる人物の年齢は自分より少し上の30歳前後だけど、20代半ばでもこの問題の重要性(というかウンザリ感)は共感できる。けれど、もう一歩踏み出した話はもうどんどん出てきているんじゃないか?という気もする。ほとんど「解決」という方向に向かわない終わり方はすんなりと受け入れられなかった(半端な「解決」を出されたらもっと嫌だけど)。

最近YOUTUBEで見まくっているチャットモンチーの「シャングリラ」は、この問題を摺り足でジリッと踏み越えようとしているように見えるし、「希望の光」に代わる長期的目標っていう話も、既に出始めているように感じる。もちろんそれが個人的な幸せに直結するかっていうと、全然そうではないのだけれど・・・・・・。

希望がなくても適度な刺激を継続することでなんとなく生きていけてしまう、幸せなのか不幸せなのかわからない半端に満たされた状態、っていうのはいつまでも消えない問題なのかもしれない。それはこの前読んだ『誘惑される意思』の「効率の高い意思は欲求をつぶす」ってお話にもしっかりつながる。とりあえず、今の時代を生きるほとんどの人はこの問題から逃げられないんだってことを(早めに?)理解するためにも、『終わりまであとどれくらいだろう』はもっと読まれるべき本なのかも。

でもよーく考えてみると、この小説に描かれている救いようのない日常よりも、現実のそれのほうがずっともっと追い込まれているような・・・・・・。


終わりまであとどれくらいだろう