ニンテンドーDSの凄さなんて語りつくされてるんだろうけど、書きたいから書いてしまう。一週間ほどいじくって驚いたのは、魅力の源は「豪華な二画面」にあるのではなく、おまけだと思っていた「タッチペン」にあることだった。タッチペン、ゲームに慣れた自分にとっては遊びの幅がちょっと広がった程度にしか感じてない。しかーし、ゲームに慣れていない人にとっては、ものすごーく革新的なアイテムだったのだ!

ウチの親はミーハーなのでベタな「脳トレ」をやっている(ついでに韓流ドラマも見ている)。彼らは今までまったくゲームなどをしたことがない(というか「今までできなかった」と言ってしまってもいい)。にもかかわらず、これはできてしまう。それはこのゲームが十字キーやボタンを使う必要がなく、画面とタッチペンだけで完結しているからだ。

レーニングが必要であると自認するほど脳が弱っている(らしい)ウチの親は、「なんだ、できるじゃん!」と己の能力を過信し、俺が自分用に買ってきた「もぎたてチンクルのばら色ルッピーランド(通称:もぎチン)」を、「それもやらせろ〜」とプレイし始めたところ、ものの五分で「やっぱ無理だ!」と放り投げてしまったのだった。このゲームタッチペンだけでなく十字キーも使わなければならず、さらにはゲーム的にも「脳トレ」に比べ遥かに複雑。初心者には無謀な挑戦だった。

そもそもウチの親は典型的な機会オンチで、随分と単純化されたにもかかわらずビデオ録画すらできない(あんだけ何度も教えてたのに!)。なぜそんなことすらできないのかまったく理解不能だったが、今はなんとなくその理由がわかったような気がする。要は画面(テレビ)とコントローラー(リモコン)をひとつのものと捉えられないのだ。別々に把握してしまうので、無駄に複雑化し覚えられない。

そういった人に一般的なゲームのコントローラーを握らせると、十字キーと各種ボタンが離れているためそれすら別々になってしまう。画面+十字キー+ボタンと3つのことを同時にやっているようなもんで、さらにゲーム内でも複数のことを同時にやれってんだから、なんだかひどく無理な労働を強いているような気さえする(自分は簡単で着てしまうのに!)。

しかしタッチペンだとそうはならない。直接触れるため画面内で事が済んでしまうからだ。つまりひとつの次元でゲームが楽しめてしまう。DSは脳トレブームのおかげで運良く爆発的に売れたと思っていたが、高齢層にも売れた理由はこれだったのだなぁと実感させられた。ちゃんと考えて作られているんですね、素晴らしいです。

これで思い出すのは区の図書館。ここの検索機はタッチ画面を採用している。映し出されたひらがなを指でポンポンと押して入力するという、パソコンの検索をし慣れた者にとっては、時間かかるし、漢字変換で絞り込めねーし、検索機としては落第ちゃんだろバカヤロー!と思ってしまう代物。しかしこのような事実を知ってしまうと、幅広い利用者を受け入れなければならない場所ならば、その手間も仕方ないのだなぁと納得してしまう。使えないんじゃ意味ないもんね(でもホントはちゃんとしたやつと両方置いて欲しいぞ!)。