道端、見知らぬおばさんたちの会話。

「森山良子の娘と結婚したお笑いって誰だっけ?」
「えーと、おぎや&はぎ?」
「そうそう、それそれ!」

って、チガーウ!

とツッコミたかったけど、見知らぬ人なんで言えませんでした。タカアンドトシと混ざってしまったのでしょうか。「アンド」いらねーし、切るとこ間違ってるしで笑うというよりも、驚いてしまいましたよ。自分からは絶対出てこないボケですね。


ミカエル・ニエミ『世界の果てのビートルズ』、週刊ブックレビューで豊崎さんが薦めていたので読んでみた。たしか「北欧版マジックリアリズム」と紹介していたんだけど、読んでみるとその言葉に落ち着けるにはちょっと違うかな?という気がした。

ただでさえ想像し難いスゥエーデン北部にあるマイナーな村の生活描写の中に、無知と自己顕示欲によって生み出された〈ホラ話〉がごちゃっと混ざっている。しかもその〈ホラ話〉が二重に出てくるのが面白い。「これはホラですよー」と言ってしまうのと、言わずに(たとえそれで矛盾が生じても)そのまま物語を続けてしまう〈ホラ話〉が出てくる。後者はだいたい主人公(自伝的小説であるというので、たぶん著者本人)が直接経験したもの。つまり他人のホラはばらすけど、一方で自分もホラをついて語っているのだ。

主に主人公の幼年期と少年期を描いたもののせいか、所々に小学生的な汚らしさが出てくるのも特徴的。1960年代、世界では色々起こっているようだけど、相変わらず地理的に隔離されている村では情報がなかなか入ってこなく。入ってきても大人が不当に、自分の都合よくそれを歪曲してしまう始末。でも仕組みのよくわかんない音のでる円盤は、持ち運べるメディアってことで村にも入ってきた。同じように距離の問題を解決するラジオなんかも一緒に使って、村の若者たちはつつましく、かつ熱狂的に外の情報を手に入れていた。

村固有の幻想が、ゆっくりと雪溶けていく瞬間。その光景はいささかグロテスクだけど、もう溶けずにはいられない。大人はもう一度雪を降らせたがるけど、若さはそうはさせないのだ。でもでも、そんなかつての幻想だって嫌いじゃないんだよ。いや正直に告白すると結構魅力的だったと思ってるんだ。かなり馬鹿だけどさ。もうそこには戻れないから、ちょっとだけその魅惑の世界をおすそわけしよう。そんな小説(と受け止めましたわたしは)。


世界の果てのビートルズ 新潮クレスト・ブックス