ちょっと面白い光景を見た。


「ジュースのみたい」と幼児が言い。

「お金持ってないでしょ」と祖母らしき老女がたしなめる。

「じゃあおカネかして」

「貸してって、いつ返してくれるの」

「1000ねんご」

「1000年後って、生きてないでしょ」

「1000ねんごー」

「おばあちゃん死んじゃってるわよー」

「生きててよ」

10年後も怪しいというのにあと1000年生きろと言われたおばあちゃんは、結局ジュースを買ってあげていました。これが計算だったら、あの少年は相当なツワモノになりますね。



久しぶりにTSUTAYAに行ったら、CDレンタルのコーナーに試聴機が置いてあってビックリ。しかも五台もあるじゃないですか! マジかよ、ここに置いてあるCD全部聴き放題だなんて、スゲェ時代になっちまったよ!! 

と驚きながら利用していると、小学生のオスがグループでいくつかの試聴機を陣取っていることに気づがついた。彼らはラジオにリクエストを出したり、音楽番組を事前にチェックして録画したり、大人のように違法ダウンロードなどで法を犯すことなく、ただ近くのTSUTAYAに行けば聴き放題。なんじゃそりゃー! 当時の自分を思い出し比較なんかしちゃうと、嫉妬せずにはいられません。3000円握り締めてどれだけ無駄に(!?)あれこれ迷ったことか・・・・・・。

しかしそれさえ抜きにすれば、お金のない少年少女がちょっと足を運べばいろんな音楽が聴けちゃうって環境ってのは、そんなに嫌じゃない。J-POPだけじゃなく洋楽やジャズ、クラッシックなんかも自由に聴けちゃうのだ(聴く気があればだけど)。なんか素晴らしい感じすらする、けどレコード会社や販売店(もしかしたらアーティストも?)にとっては、やっぱトンデモネェ状況なのだろう。

情報がどんどん無料化して、情報そのものの金銭的価値がグングン下がっているのと同じように、音楽の金銭的価値もかなり下がってきているような気がする。ウェブ上ですら聴ききれないほどの音楽が無料で提供されている中で、3000円のアルバムを買うってのは以前に比べて抵抗がある。借りれるものは借りて済ましたいっていう感覚は、最近の自分にも容易に引っこ抜けないくらいしっかり根をはっている。

試聴したチャットモンチーの『耳鳴り』ってアルバムに、「めちゃくちゃいい!」と興奮したにもかかわらず、「購入する」という選択はとれず結局そのまま借りてしまった。中高生くらいの頃だったら確実に買っていたのに。TSUTATAでCDを借りること自体が久しぶりだったので、確実に何かが変わったと実感した瞬間だった。


話をアルバムのほうに移そう。「シャングリラ」でチャットモンチー知り、「同年代くらいで凄いのが出てきた!」と密かに盛り上がっていたのだけれど、『耳鳴り』というアルバムが驚きと感動の連続だったので、もう声高に「好きだ!」と叫びたい。自分を隠さない赤裸々さからさらに一歩二歩推し進めた歌詞が何より印象的。アルバムを手にして気づいたのは、歌詞を三人とも書いていること。三人とも個性が違い面白い。

驚きだったのは、一番冷静でサバサバしているように見えるベースの福岡さんがもっともメルヘンで恋愛色の強い(しかも年季が入った感じの)歌詞を書いているところ。歌っていないときは妙にぼけぇとしているギターボーカルの橋本さんは妙に痛た痛たしい詩を、ドラムの高橋さんも恋愛色が強く、ある瞬間を切り取ったような詩を書いている。

高橋さん作詞の「終わりなきBGM」という曲を試聴しているときに思わず感動してしまい、涙腺がやばいことになってしまったので、すぐさまヘッドフォンを外しーの、CD借りーので逃げるように帰った。TSUTAYAで泣いちゃうのはどう考えても「ない」。家で聴きなおすと、その歌詞はビックリするぐらい青臭い、少女漫画のワンシーンを歌ったようなものだった。自分は少女漫画で同じような場面を読んでも泣かないし、共感なんてしないしできないのだけれど、この曲はなぜか涙腺を直撃しやがった(不意打ちとは卑怯なり!)。

「ドラマでも昔話でもないよ」

という歌詞が、どす黒いハートにも響いてしまったみたいです。歌ってすごいなやっぱり、とチャットモンチーは久々に思わせてくれた期待の星です。


耳鳴り