結局去年どんな本をどれだけ読んだのかというのがまったく分からなかった(正確にはバラバラにメモしたものを集める気になれなかった)ので、ブクログをリスタート。ブログ更新のリズムとして読書感想文がなくなると、書く気になれない期間を乗り越えるのがきびしくなりそうだけど、最近「あんま更新しなくても・・・・・・」というゆとり(?)ができたのでそれで良いってことにする。

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TBSラジオで毎週土曜に放送されている番組、LIFE。毎回聴いてるけど昨日の放送が凄まじかった。「失われた10年 〜Lost Generation?」というテーマがとても生生しかったことと、パーソナリティー鈴木謙介の年代が正に扱われているってこともあって、怒りが爆発(!)していましたよ。今までで一番面白い放送だったかも。

後半出てきた00年代の表現者たちの話が「俺もそれ思ってた!」という内容だったので、珍しく聴きながら興奮してしまった。BGMでチャットモンチー「シャングリラ」が流れていたのも素敵過ぎ。タイミングが(個人的に)ベストだったせいか、生まれて初めて「ラジオで自分の好きな曲が流れて嬉しい」という(あまり自分らしくもない)体験ができた(同じ番組で同じく大好きなWHY?の曲が流れたときは、あそこまで興奮しなかったのに!)。



もしかしたら青春映画としてオールタイムベストかも、と思わされた『リンダリンダリンダ』の山下敦弘監督が、くらもちふさこ天然コケッコー』という漫画を映画化するというので、期待を込めて原作をいっき読み。『リンダリンダリンダ』と共通するような空気感が見られ、その映画化に納得する一方、「なぜわざわざ今この作品を?」と疑問に思い、それに関連して色々考えさせられた。

超ド田舎の学校に、トーキョーのかちょいい男の子がやってきた。で、当然のごとく一番かわいい女の子と恋愛を始めましたとさ。という内容で、その中2から高2までの約3年間を描いている。田舎賛美だったらやだなぁ、と読み始めるとあまりに見せ方が上手いのでそんな気分はどこか遠くへ(たぶん太平洋辺りに)行ってしまった。

全14巻を読み終え、ちょっと冷静になってから考えると「田舎への愛着」はしっかり描かれていた。もちろん「都会への憧れ」も同時に描かれているけれど、最終的には「田舎への愛着」で終わっているように読める。でもそれが田舎賛美だとはまったく感じず、この漫画で描かれているこの期間では彼らはそういった気持ちだった、という印象を受けた。「完全に決断した」というよりも「今の時点ではとりあえずこういう判断をした」というほうが近い。そこに押し付けがましさない。

そう感じられたのは田舎のだめだめさ加減がちゃんと描かれていたからだ。あまりにも「世間」が狭く、それがデタラメだろうと噂は直ぐに広まり。父親の発言力が都会に比べるろ異常なまでにある。もちろん娯楽も少ない。ゲームはあるものの、漫画の時代設定ではまだパソコンは普及していない。「絶対こんなとこに住みたくない」、とちゃんと思わせてくれる。

学校で数少ない(というか二人だけ!)男子生徒になった転校生の描き方も素晴らしく丁寧。流行最先端という都会幻想を持ちつつも(それすら途中でちゃんと否定してくれる)、理想化されず我がままにスケベだし、都会育ちということで家族的な村付き合いとは違ったコミュニケーションの仕方をする。

この漫画の主人公で転校生の彼女になる女の子は、そんな彼氏にいらだちつつも、男と女、都会と田舎という障害に躓きながらも、なんとかコミュニケーションしていく。二人が恋愛をするきっかけも素直で、男は「ほかにかわいいこがいないから」という消去法を駆使しての外見重視。女の子は都会的なものへの憧れと「ほかに(恋愛対象になるような)まともな男がいない」という、これまた消去法的なものだった。全然ロマンチックじゃないし、読む人によっては痛々しくもあるだろう。

結局のところ、めちゃめちゃ褒めたくなるような漫画で、昨日のLIFEの放送でも語られていたように、「もうそろそろ普通の幸せを語ってもいいんじゃなか」や「今後の表現は『コミュニケーション』を重視したものが多くなるのでは」といった話に(※聴き帰せないのでカッコ内の言葉は記憶に頼っております)、びったんこ当てはまる作品だった。

やたら田舎に落ち着いてしまった(ように見える)エンディングに違和感を覚えるのは、自分がずっと東京で過ごしているからかもしれない。「都会での幸せを語ってくれよ!」という願望が無意識にあるのだろう。「コミュニケーション」の重視という意味では、都会と田舎という差にどちらかが否定的な態度をとるのではなく、もちろん思い込みの憧れで賛美することもなく、同じ人間という体をもった者として感動を共感(むしろ《共鳴》というほうが正確か?)するべきなのだと思う。その他の問題はひとまず置いておいて(でも決して捨ててはならない)、相手が発しているものを受けとめ、自分なりに響かせるのだ。

きっと本田透の『電波男』を女性に対して「これを読め!」とつきつける行為(そう発言する人は多いけど実際に実行している人はたぶんいないだろうけど(笑))は、ある種その究極的なものだと思う。読んだ女性が「き、気持ち悪い!」と途中放棄せず最後まで付き合い、彼女たちなりに自分の中で響かせることはかなり重要だ。一見素朴な態度に思えたが、極端な例を挙げるとまるで途方もない希望のようだ・・・・・・。

とにかくまずはちゃんと受け取り、否定も肯定もする。という態度が今後どういった広がりを見せるのかわからないけど、自分もまだまだそのようにはなれていないなぁと実感するのであった。全然話はとんでしまったが、映画がとても楽しみです。きっと素朴な幸せを共鳴できると思います。


天然コケッコー 1 (集英社文庫(コミック版))