■趣味の細分化が広がり、共通の体験などもはや学校生活くらいしか残っていないと言われる現在。それにも拘わらず同じように経験していることは探せば沢山あり、それらをワタシは敬意を込め《あるあるネタ的体験》と呼んでいる。

例えば今日遭遇したあの体験も、あるあるネタ的体験と言えるだろう。コマツさんは自転車に乗っていた。正確には乗って運転していた。幼少の頃からチャリンチャリンいわせていたこともあるので、自分のことながらその運転能力はなかなかのものだと言って差し支えないだろう。だがしかし、アレとはその技術の高低に拘わらず、出会うときには出会ってしまうのである。

それはある交差点で起きた。前世が闘牛だったことからくる、赤く光るものをみると突進したくなる気性を懸命に押さえつけながら、コマツさんは正面の信号機が青(進め)に変わるまで必死に持ち堪えていた。も・・・・・・、もう堪え切れない!というところで青。うわーん助かった〜、とヨロヨロと車輪を回しながら前進すると、同じようにヨロヨロと正面からやってくる自転車を発見した。勘のいいコマツさんは「こっ・・・・・・これはアレが起こる可能性がある」と恐れ、その予防としてハンドルを早めに切った。のだが、相手も同じ方向に切ってきやがったのだ。

しまった! アレだっ!! アレが起こる!!!

もはや東アジアのマスターコンピュターと言われた我が脳に判断を委ねることはできない。そんな悠長な時間などないのだ。本能に任せハンドルを操作。しかし相手はまた同じ方向に。クソッ、止まるか? でも止まるのは躊躇われるぞ、なんか負けた気がするぞ、どうする? どうする? まったく覚えていないがたぶんそんなことを考えていたに違いない。

確かに対向車を上手く避けれず、ブレーキをかけて止まるという動作は、決して格好のいいものではない。だが、この止まるか止まらないかの減速状態で、ハンドルをプルプルプルプル震わせている、傍から見ても判断に迷いまくりな状態は、もっと恥ずかしいぞ!

今思えばそのような冷静な判断ができるものの、アレと遭遇にした瞬間はそうはいかない。なんとかうまく切り抜けられねーか、という無謀な期待を、ギリギリまで抱いてしまうものなのだ。コマツさんもその例に漏れず、なんとか、なんとかして、なんとかしてなんとかするんだ!と考え、右か左かの二択を己に強いたのだった。そうだ、相手の表情を見れば何かヒントがあるかもしれない。アイコンタクトなんて言葉もあるし。

そう思いながら顔を上げ、対向車の運転手を見ると・・・・・・!!!

そこにはなんと、スキンヘッドの男。昨年都知事選に出馬し、各動画サイトで人気を博した外山恒一さんが乗っていたのだ。おおおおおおおっ、一気にあるあるネタ的体験から遠のいてしまったではないか。どうしよう。いや、そんなことはどうでもいい、というかその時は自分からしてみればもっとどうでもいい。なによりも今は、あの伝説男が目の前にいることが重要なのだ。驚きのあまり呆然としたコマツさんは、左右どちらにもハンドルは切らず、そのまま直線をつき進んだ。すると外山さんはするっと避けてくださり、なんとかアレは未然に防がれたのだった。

嗚呼、なんて不思議な体験だったのだろう。アレがアレしてアレがああなった貴重な経験だった。さらに付け加えると、スキンヘッドの人は冬場はニット帽に決まっている、というワタシが持っていた勝手な偏見を、外山さんはこのくそ寒い気温の中、凛々しくも無帽というスタイルで粉砕した。ああいった過激なパンフォーマンスができる人は、外見からもうこちらの想定をひっくり返してしまうチカラがあるのだなぁ。コマツさんにとってそれは、ちょっとした革命であった。