■最近DVDですら映画を見る気がなかなか起きず、それを不健康に感じていたのだけれど、重い腰をあげるのにちょうどいいウェス・アンダーソン監督の『ダージリン急行』がやっていたので観にいく。

毎度お馴染みにの「そのどうしようもなさを含めて憧れる」感は健在で、あの兄弟の一員になれるもんならなりたい、が、真似できるところがあっても真似できないし真似したくない、という矛盾したような羨望が、観終えた者をモヤモヤモヤと悩ますのであった。

「インドでの心の旅」という設定もそれを象徴しているように感じた。旅行者を虜にし、ハードなリピーターをたくさん生む一方で、「二度と行くかッ!」と眉間にしわがよるほどの拒否反応を示す者も多いインド。その両極端な反応が、まだ行っていない(たとえば自分のような)者に、マジカルな印象を与え続ける魅力となっているのだろう。ウェス・アンダーソンの映画はいつも、そんな相容れないはずの魅力がたくさん詰まっている。


■映画そのものとはまったく関係ないのだけれど、腰を預けた席の隣に30代半ばと思えるナイスカップルが並んで座っており、その二人がビールを飲みながらスクリーンを観ていて、それがやたら羨ましかった。おつまみが(コマツさんも大好きな)バームロールだったことで、より一層そわそわしてしまったのだけれど、映画館で一人飲み食いしながら観る、という行為は、自らオッサンの称号を与えるような気がして行動に移せなかった。

なぜこうも狭苦しい席に座らされながら、黙って真面目に映画を見なければいけないのだろうか?と無用なほど考えてしまい、上映中ヤジでも飛びやしないか、と期待した(その時自分が飛ばすという選択肢がでないところに、前述した叶えられない憧れに対するもやもやの正体があるに違いない)のだけれど、暗闇の中で聴こえたのは品のいい笑い声だけだった(当然だ)。

帰り際、ふと、180センチという長身と鋭いつり目、という容貌に相応しい凶暴さを発揮してくれる従姉の言葉を思い出した(前会ったときの従姉のマイブームは「言い寄ってきた男に、フリスクひと箱分いっきに食わせる」だった)。それは、映画館には十年くらい足を運んでいない、という彼女に、それはどうしてか、と訊ねたとき返ってきったものだ。「あんな窮屈なところに座らされる意味がわからない。横になれるくらいのソファーが置いてあったら、観にいってやってもいい」。

同じことを自分が言えたのなら、映画の中の脇役ぐらい務まる気がするのだけれど、アルコールの神様に縋るなどしない限りそんなこと口にも出せないし、行動には尚更うつせやしないので、所詮自分は永遠の羨望者なのだ、と自覚せずにはいられないのであった。