ピンクという色彩は特別「カワイイ」だろうか。ワタシはそうは思わない。それが無根拠なまでに「カワイイ」とされ、安易に使用されまくっていることによって、個人的な実感としてのピンクは、むしろもっともグロテスクな色であるかのように映る。そうは思わないかねキミは。どうなんだいどうなんだい。ワタシにキミの胸の内を聴かせてはくれないかね。ねーねー、ねーったらねー、聴かせてちょうだいよぉん・・・・・・

というような話を、たまに友人に振るのだけれど、そういうときは大抵「嗚呼、またいつもの病気がデちゃったのね・・・・・・」などと思われ、「はいはいはい、そうだねそうかもね、そういう捉え方もあるかもね」とうまい具合に流されたりする。コレができる人はコマツ使い上級であり、それ以下の人はだんまりしてしまい微妙な空気になるか、半端な反論をしてしまい、それを受け加熱したコマツさんに独自で偏向した持論を捲くし立てられた結果、お互い(コマツさんも途中で「しまった、言い過ぎた!」と自覚する)大変な後悔に塗れてしまう。

ので、またこのテのネタを思いついてしまったのだけれど、人に話すのが怖いためこの場で消化してしまおうと思う。

憎い、憎いぞパステルカラー。いつか絶対に絞め殺してやる! 一族全員皆殺しだ!! 覚悟して置けよ、「すいません、もうちょっと濃くなりますから・・・・・・」とか後で言っても遅いからな!!! NANANANAっ!

とはじめに燃え尽きておいてから、本題にやっと(!)入ろうと思う。最近、というか結構前からだけど、パステルカラーの服を着た小学生(主に女子)が大量発生している(たまに上下パステルカラーってのまで!)。もはや女子小学生の記号にまでなっているのだけれど、少なくとも個人的にはまったく可愛くない、というかむしろ可愛さの邪魔をしているとすら思う。

子供なんて、そのまんまで十分可愛いのにパステルカラーを纏うことで、妙な印象を背負ってしまうのか、一気に元の魅力が失われてしまう。苦々しいのは、その服を本人たちが好んで着ているように見えるところ。「着たいんだから着てるんです」と言われたら、「そうですかそうですよねゴメンナサイ」と謝るしかない(そもそも、そうでなくても文句言うすじあいなどないのだから)。

それでもコマツさんは訴える(星空に↑)。小学生なんて親に買い与えられて無難なやつを着る程度で十分なはずだ!っていうか親はなに甘やかしてんだよ! 「ファッションの楽しみは老後にとっておきなさい☆」くらいのこと言えないのかよ!! などと思いたい放題なのだが、今無難な子供服を買い与えたらきっとパステルカラーになるのだろなと思い至り、さらにどんよりしてしまうのだった。

そりゃ親なら子供の喜ぶ顔見たいから、「着たい」と言われた服買うよね普通、と理解しつつも、パステルカラーな小学生を見ると「全部、プリキュアが悪いんだーっ!」などと特に調べもしないで八つ当たりしてしまう。とても不健全である。

それにしても、いつから目に見えるほど小学生に身に付けるものの自由が与えられたのだろう。確かに自分が小学生の頃にもおしゃれなボーイズ&ガールズはいた(ほんの少しだけどね)。がしかし、今のそれはもっと全体に見受けられ、それを最も象徴しているのが多色ランドセルだと思う。

最近、登校中の小学生集団に遭遇するとその背負っているモノのあまりのカラフルさには驚かされる。黄緑色のランドセルをしょってるコを見たときは、お前ソレ小6になっても使うんだぞ、と直接指摘したくなったほどだ。

この間そのカラフルな背中の集団を見かけたとき、一際地味な色を背負っている女の子が目に付いた。一瞬、虐められてるのかな・・・・・・、と感じてしまったほどズバぬけて地味なランドセルを近くで見ると、暗めのチョコレートカラーでとても可愛いしカッコイイではないですか。スゲーセンスいいなー、きっと親が選んだんだろうなー、俺もこんなのしょいたかったなーと心の中でベタ褒めするも、ちょっと離れて集団の中のひとつとして見ると、ピンク、黄緑、水色、中にこげ茶色、と並ぶので超地味(なだけ)に見える。妙なことに暗い影も感じられ、第一印象と同じく、あのコ虐められてなければいいけど・・・・・・というネガティブな想像を誘発する。

なにコレ。一番輝いていいはずなのに! 色って奥が深いし思っていた以上に、怖いな、と思わされた瞬間であった。