「信じていたのに裏切られた」

仕事のあとや休日は、もっぱら引きこもりがちのKに呼び出された時点で、緊急に聴いてもらいたい愚痴でもあるのだろうと予想はしていた。そしてその内容も「きっと例のアレだろう」と見当をつけていたのだが、それらは半分正しく、半分間違いだった。


数ヶ月前、Kを含む友人たちと集まってみんなで飲んだことがあった。その帰りに、Kと途中まで電車が同じであったTは、突然こんなことを言われたのだという。

「俺、本当に彼女が欲しい」

赤の他人からすると随分とありがちなセリフに聞こえるのだろうが、あのKがそう言ったのだ、とここで強く主張しておきたい。あの、小さいながらもカチンカチンのプライドの硬さ、でお馴染みの彼が、まさかそんな己の柔らかい部分をむきゅりと曝すなんて、身近な人間にとっては大変な驚きなのである。

その驚愕の発言を直接耳にしたTは、きっと異性の友人であるアタシにそう言うのだから、それなりのセッティングをして欲しいのだろう、と理解し、乗り換えの駅で別れるまで「どんなコがタイプなの?」という、これまたありがちに思える応答を繰り返すことによって、今後のためのリサーチを行ったのだった。

顔は悪くないが、集団の中で魅了的に映る男ではない、とテキカクに判断したTは、合コンを開くのではなく、3、4人という少人数での飲み会でそれとなく引き合わせる、という方法をとることにした。「必要があれば数をこなすことも覚悟していた」というTの心意気を聞くと、その大らかなキューピッド精神を垣間見られたような気になり、なるほどKが頼るわけだと妙に納得してしまうのであった。

嬉しい誤算ではあるが、意外なことにTの紹介は一度目からうまくいったという。紹介したのは高校の後輩で、ちょっと変わったところもあるが、基本的にミーハーで社会的適応力のあるコ、なのでかみ合わないことはないだろうと様子見のつもりだったのだが、それがガチッとはまったというのだ。

二人は「菓子パンって意外と美味い、ヤバイ」という話で妙な盛り上りを見せたという。給食で出されたパンまで遡ったその話題は、キチンと仲介しなくてはと意気込んでいたTさえも、着いていけないほど応酬が絶えなかったのであった。呆気に取られているキューピッドを他所に、二人はいつのまにか連絡先も交換し、その後何度か二人だけで会っていたのだという。

意外なKの積極性に驚かされた我々だったが、それが喜びに変わる前に二人の交流はぷつんと突然途絶えてしまったのである。それはどうしてか。

「あんな勢いでカロリー気にする男(ヒト)はちょっと・・・・・・」

Iが紹介した後輩はコマツさんとも顔見知りで、ついこの間三人でご飯を食べる機会があり、当然のようにKの話題になった。Iは自分の功績を自慢するつもりだったらしいのだが「たぶんもう会わないかも、少なくとも二人きりでは」と口にしながら微笑んだ後輩を見て、ま・じ・か・よ!と表情を歪ませた。まったく事情を知らないコマツさんは、Tの引き攣った顔見て、なんのことだよぉ俺様ちゃんも仲間に入れておくれよぅ、と別の意味で混乱してしまったのだった。

これまでの経緯をきいた後、「なんでダメなんすかねー、彼」といやらしい敬語で訊ねると、「あんな勢いでカロリーにキレる男(ヒト)はちょっと・・・・・・」と返答をされ、コマツさんとTは納得の苦笑いをするのだった。


Kに呼び出されたのは同じ週の土曜日。おやつの時間に待ち合わせというのは、まったくと言っていいほど酒が飲めない彼らいし選択であった。

「信じていたのに裏切られた」

席に着いた瞬間、まだお姉さんがメニューを訊きにこないうちにからKそう吐き捨てた。そうか、一人よがりかもしれないとはいえ、そんなに彼女のことを思っていたのか、と理解したのはどうやら早とちりだったようだ。

「最近、菓子パン美味いよって言われて毎日のように食べてたんだけど、ある日衝撃の事実が発覚した。それはカロリーだ。高カロリー、超高カロリーなんだよ菓子パンってやつは! コンビニとかで売ってるやつ平気で500とかすんだぜ、マジ裏切られたわー」

そっちかよ。きっとこの「Kの躁」と我々が呼んでいる怖いくらいのハイテンションで、あの可愛い後輩に同じ憤りをぶちまけたのだろう。彼自身はその勢いを正常な状態のひとつだと思っているらしいのだが、周りからすると、とくに初対面に近い人からすると、文字道理倒れたくなるほど「圧倒」されそうになるのだ。

しかし不思議である。後輩は「もう何度か誘いを断っている」と言っていたので、感のいい、というか若干被害妄想、気にしすぎの傾向のあるKならば、もうとっくに気づいていると思っていたのだが。そもそも、「Kの躁」は本当に親しい友人にしか見せないはず・・・・・・。

Kは運ばれてきたグレープフルーツジュースを、すすすずっと飲み干すと、徐にバックから袋入りの菓子パンを取り出し、「見ろ! ここ見ろ! この表示カロリーを!!」と小さく叫び、(コマツさんにちゃんと見る時間も与えないうちに)それを床に叩きつけ、憎しみを込めながらスニーカーの踵でばすばすと踏みつけた。ペースト状になるまでそれを繰り返すと、しばらく俯いてそれを見つめ、意を決したように摘み上げたかと思うと、スッと開封し、ぐちゃぐちゃなソレを握ってこねこねハート型にしたのだった。

当然お洒落な店内は静まり返った。けれどコマツさんはその行動を止めはしなかった。多少常軌を逸したことだとしても、法的範囲内になんとか収まるならば、やりたいことをやりたいようにやってしまうことも、時には必要だと理解していたからだ。

そして二人は店を出て、近くの川沿いまで歩いていった。川は氾濫防止のため、高さのある石垣の底を流れているため、近いが手の届かないところに存在しているかのように思えた。空を見上げてみると、日はちょうど暮れはじめていて、何かの終わりを感じさせた。

越えてはいけない柵を抜け、作ったハートを川に流した。それを目で追い続けるKの横顔は、どんな感情でも読み取れそうな無防備なものだった。コマツさんはしばらくその表情に釘付けになっていたが、そういえば、と慌てて流れに視線を戻すと、さっきまで菓子パンだった塊はもう見えないところまで流れてしまっていた。

無言のままKは、石垣を登り流れに背を向けた。コマツさんはそれを追った。ハートに行方は誰も知らない。