観る者にやさしくない過密スケジュールに踊らされてみると、やはりオリンピックは世界規模のお祭りなのだと実感。どの競技も当然ナンバーワンを決定するために行われているので、優勝の感激や選手同士の友情などとう、感動の嵐に我々は曝されることになる。それも毎日毎時間のように。

のめりこみやすい人であればこの期間、何度となく涙を流すことになるだろう。例え海外の選手であっても、ちょっとした「苦労しました」情報さえあれば、共感などたやすくできてしまう。いや、そんなものがなくっても、涙を流しているアップさえ流れれば、自ずと感情が移ってしまうこともあり得る。

コマツさんもかつてそういった症状に悩まされていた者の一人である。「受動的過度感涙症ではないか」、<ハカセ>と呼ばれていた同級の友人からそう指摘され、「彼の言うことだから」と眼科へ足を運んだことがあった。学生時代のことである。

「その症状はウチで扱えるものではありません」

長すぎる黒髪をかきあげながら、診察した女医はそう言った。30台後半くらいのその女性は、名医であるようにも見えるし、どんでもないデタラメで翻弄する魔女のようにも見えた。

「たぶんその症状はどこへ行っても追い返されるでしょう。現代医学では日常生活に支障がないもの、つまり病とは思われていませんからね。ご希望であればそのお悩みに有効と思われる対策を、こっそりお教えてあげますが」

是非。とコマツさんは答えた。

「わかりました。やり方は簡単です。が、感覚として掴み難いところがあるので、よく聴いておいてくださいね」

はい。

「今後会う人間全てを、自分より下等な生物と見做してください。例えば害虫と同列だと思い込むのです。鬱陶しく邪魔だが、地球の大らかさに免じて存在することだけは許してやろう。そんな気持ちで毎日過ごしていれば、お悩みの症状は出なるでしょう」

コマツさんは戸惑った。当時<善玉菌>というあだ名で呼ばれているほどの優等生だったこともあってか、実際にやるかやらないかう判断の前に、激しい拒否感を覚えたのだ。そんなこと本当にできるのでしょうか、うろたえながら口にした質問に、女医は冷静にこう返した。

「慣れるまで違和感があるとは思いますが、しばらくすれば体の一部といった感覚になれますよ。個人差はありますが、私の見込みからするとアナタは・・・・・・、一ヶ月程度かな。早いほうだと思います」

褒められたような気になったコマツさんは、翌日から言われたとおりそれを実践した。隣の席のこいつはカメムシ、親友はシロアリ、そして気になるあのコはチャバネゴキブリじゃぁぁぁッ! と過ごしているうちに、みなさんご存知の大変捻くれた性格の持ち主である今のコマツさんが出来上がったのだ。

少し捕捉。最低限の社会性をなんとか保つために、一時期潜在意識化のリハビリを行ったこともあった。そのため現在でもたまに感動して涙することはあるのだが、他人とは着眼点(つまり「泣きどころ」)が違うということが頻繁に起こる。「そこかよ!」と指摘される度に、周囲の人間が一瞬害虫に見える、という後遺症が残っていることは、ここだけの秘密だ。